小麦産地概況 ワシントン州

ワシントン州地図

小麦生産一般

ワシントン州の小麦主生産地帯は、州の農業地域番号で言うと5番の東中央地区(East Central:ダグラス郡、キンカーン郡、グラント郡、アダムス郡、フランクリン郡)、9番の南東地区(Southeast:ウィットマン郡、ワラワラ郡、コロンビア郡、ガフィールド郡、アソティン郡)、そして3番の北東地区(Northeast:小麦はスポケーン郡、他に3郡)となる。東中央地区でワシントン州の小麦生産量の凡そ47~48%を占め、これに南東地区を加えると全州の約86%となる。農業地区3番の北東地区で小麦が主に生産されているのは同地区南部、即ち9番南東地区に接するスポケーン郡である。

ワシントン州の南東地区からオレゴン州の北東地区(ペンデルトン市の東)に掛け走る山岳地帯をBlue Mountainsと称するが、ワシントン州の主たる小麦産地はこのBlue Mountainsの北西の丘陵地帯から州中央部へと繋がる平原地帯である。Blue Mountains の北西からアイダホ州境の丘陵地帯(Snake Riverの北側)をPalouse Country(パルース地方、現在のウィットマン郡、ワラワラ郡の一部、アイダホ州ラター郡)、又はPalouse Hillsと称するが、Palouseとは当地域に入植したフランス人等がこの丘陵地帯をフランス語の"Pelouse" country ="grassy" landと称したことに由来するとの説がある。東部からオレゴン・トレイル(Oregon Trail)を辿り開拓者が同地方に入植しだしたのは1840年代であり、この地方はインデイアンの住む草原(bunchgrass)であった。この地方を初めて探訪したのはミシシッピー川を起点に西部探検を行ったMeriwether LewisとWilliam Clarkの率いる政府の探検隊である。Snake Riverの支流沿い(Blue Mountains北側)に住むアメリカインディアンと遭遇したのは、1805年と記録され、そのインディアンがPalouse Indiansと呼ばれている。Palouseとは同地方のインディアン語で、"Standing Rock" との意味と言われ、Snake Riverの支流でPalouse River(Whitman countyの中央を流れる川)の流れの中に突き出す神が宿る岩を指す言葉と言う。フランス語の"pelouse"即ち"grassy"landが語源とするのは後の人が言い出した事であろう。

話が横道にそれてしまったが、ワシントン州東部並びにオレゴン州東部の農業、特に小麦の作柄ではBlue Mountainsの降水量が極めて大きな意味を持つことより、両州のCrop & Weather Reportには、時々Blue Mountainsの降水に関する記述がある。また、Palouse region (パルース地区、パルース地方)と言う言葉もワシントン州の小麦関連の資料には度々顔を見せるので、大体どの辺りかを頭に描いて置く必要があろう。余談であるが、ワシントン州東何地区での小麦作付けの始まりの地とされるWalla Wallaは、ワラワラ・インデイアンの言葉で"little running water"との意味と言う。ワラワラ市郊外のWhitman Missionary の住居跡の脇にはワラワラ川が流れている。記録では1837年にMarcus Whitmanがこの地で小麦栽培を始めたとされる。

更に余談となるが、パシフィック・ノースウェスト(Pacific Northwest:PNW)の小麦栽培は、1840年にOregon Trailがウィラメット盆地にまで通じた以前に、コロンビア河沿いのヴァンクバー近郊で開始されていたと言う。1820年代のヴァンクーバーには、毛皮や鮭の燻製、雑貨等を交易していたHudson's Bay Companyが在り、イギリス人が主に居住していたと言う。彼らの主食は小麦粉であり1830年には手動による製粉所が、牛を動力とした製粉工場に作り変えられた。そして、1832年には始めての水力による製粉工場がHudson's Bay Companyにより設立され、小麦粉のイギリスからの輸入は、この年以降は無くなったと言う。1834年には現在のオレゴン・シテイーの近くに、やはり水力を利用した製粉工場が建設されたと言う。Oregon Trailがウィラメット盆地に通じた後は、大量の開拓者が同盆地に入植し、小麦の栽培がウィラメット盆地で急激に普及した。現在のワシントン州(1848年に現在のオレゴン州、ワシントン州、アイダホ州そしてモンタナ州の一部を含め、Oregon Territoryとして制定された)のスポケーンには1833年頃水車を応用した製粉工場が出現している。


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オレゴン州東部は小麦栽培に適することは、当時の入植者は承知していたと言われるが、小麦粉の消費地(ウィラメット盆地)に遠く、小麦の輸送費が掛かり過ぎることより、カスケード山系東部での小麦の栽培は発展していなかった。一方、オレゴン・シテイーには1844年に製粉工場が既に4工場出来ていたと言う。更に、セーラム(現在の首都)にも大型製粉工場が出現したと言う。1860年段の後半になりウィラメット盆地での小麦栽培と製粉は、カリフォルニアのゴールド・ラッシュで新たな市場を得たこともあり一段と発展し、更にポートランド港からは1868年に初めての小麦の輸出(中国向け)が記録され、1870年には12隻の帆船が242,579ブッシェル(訳6,600トン)の小麦を輸出したと言う。1860年代の終わりに東オレゴンでも金が発見されるや、多くの開拓者が東部オレゴンに流れ込み、徐々にカスケード山系東部での小麦栽培が開始された。しかし、大きな市場であるポートランドそしてオレゴン・シテイーに持ち込むには、輸送費がネックであることには変わりはなかった。これが、1883年にUnion Pacificの鉄道が開通し、東から西への貨物の移動が容易に成るや、乾燥地でも栽培可能な小麦は、西より土地の安いカスケード山脈の東側へと急激に移行した。

ワシントン南東地区では、Whitman一家がインディアンにより殺害された1847年以降インディアンとの抗争が続き、10年間余り農業の発展は見られなかった。1857年にFort Walla Walla(ワラワラ砦)が築かれ、同地域での小麦栽培が再開された。当時よりワラワラの小麦はウィラメット盆地の小麦より品質が良いと言われていたようである。1864年にはワラワラには5つの製粉工場が稼動していたと言う。

現在ワシントン州で生産される小麦は、過去数年冬小麦の作付けが多少減少傾向にあり、一方春小麦の作付けが増加している。州全体の小麦作付け面積は、2001年産(2001年収穫)小麦で見ると、249万エーカーであり、内約74.3%(185万エーカー)が冬小麦、64万エーカーが春小麦となっている。冬小麦のコモン・ホワイト・ソフト冬小麦(Common White Winter wheat)が79.9%を占め、クラブ小麦が12.3%、残りがハード・レッド・ウインター小麦(Hard Red Winter wheat)となっている。春小麦の作付けは640万エーカーであった。内訳は軟質白小麦が約66.4%(425千エーカー)で続いて硬質赤色小麦が32.9%、残りが硬質白小麦(4,100エーカー)となっている。

灌漑ほ場は全体の約11%(冬小麦の10%、春小麦の13%)程度で、夏季休耕による栽培形態が主体である。灌漑ほ場は年間降水量の極端に少ない(8~10インチ程度)農業地区番号9番の東中央部に多く、この地域での灌漑ほ場の平均単位収量は2000年産冬小麦で平均96.0ブッシェルであった。一方夏季休耕ほ場での単位収量は平均60.4ブッシェルとなっている。この差は異常気象の年には更に大きくなる。(1999年産冬小麦:灌漑ほ場の単収平均:101.4ブッシェル、夏季休耕ほ場:44.5ブッシェル)

単位収量は全小麦平均で65-68ブッシェル/エーカー(1999年産は悪く54.2ブッシェルであった)。冬小麦の平均単位収量は2000年産では73ブッシェル、同年産の春小麦では54.0ブッシェルであった。州全体の小麦生産量は総計凡そ1億6,500万ブッシェル(約450万トン)前後である。


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主産地を郡(county)別に見ると、2000年産においてはウィットマン郡が第一位で4,111万ブッシェル、続いて東中央部のキンカーン郡の2,528.8ブッシェル、そして第三位にワラワラ郡が続き生産量は1,871.5万ブッシェルであった。東中央部のアダムスは作付け面積では全州第3位に位置するが、単位収量が上がらず収量ではワラワラに及ばない。ウィットマン郡の平均単位収量は85.2ブッシェル、ワラワラがこれに続き80.8ブッシェルである。

小麦を作付ける農家数は、1997年センサスの結果では4,097戸であり、内250エーカー以上の作付け農家は全体の58.4%、2,394戸となっている。同年の全小麦作付け面積は2,690,000エーカーであり、1戸当りに平均作付け面積は656.6エーカーとなり、オレゴン州の377エーカーを大きく上回る(1.7倍)。

東中央地区(農業地区5番)では冬小麦ほ場の約14%(130,000エーカー)、春小麦では21.6%(60,000エーカー)が灌漑されている。この中央平原はワシントン州で最も降水量の少ない地帯(年間降水量:6~9インチ)で、小麦では夏季休耕が必要であり、他の作物では灌漑施設無くしては栽培は可能ではない。この地帯をColumbia Basinと称するが(現在はオレゴン州の北部中央緒郡の一部を含めている)、このColumbia Basinの灌漑開発プロジェクト(Columbia Basin Irrigation Project)は、連邦政府内務省の開拓局(U.S. Bureau of Reclamation)により推進された。同開拓局の設立は1902年である。連邦資金にてコロンビア河から初めてワシントン州の東部平原に灌漑用水が引き込まれたのは1904年であった。1931年に水力発電とワシントン中央平原の灌漑を目的として、コロンビア河に大型水力発電・灌漑用水ダム(Grand Coulee Dam)の建設計画が国会で議決された。1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領の"Go"サインによりグランド・クリー・ダムの工事が開始された。建設場所はカナダとの国境に水源を持つコロンビア河、ワシントン州東中央平原のグラント郡(Grant county)である。1941年にダムは完成し発電を開始したが、灌漑用のポンプ(6基x65,000馬力)の建設は第二次大戦の為中断し、完成したのは1951年である。クーリーダムは全米第一の大きさを誇り、発電力では世界第三位と言う。灌漑用水となるダム湖はLake Rooseveltと命名されている。1973年に更に灌漑ポンプ(67,500馬力x6基x2セット)が追加され、100万エーカーの農業地を灌漑する能力を有していると言う。現在このクーリーダムの灌漑ポンプにて灌漑されている農地は凡そ60万エーカーと言われる。
ワシントン州の小麦を語るとき、クーリーダムの果たしている役目も知っておく必要があろう。


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品種

作付け品種のトップは、普通小麦のEltan(ソフト・ホワイト・ウインター小麦。乾燥地向け、矮性、耐黒穂病、高単位収量、1990年Agricultural Research Service, Pullman, Washingtonよりリリース)で、冬小麦(含むクラブ小麦、ハード・レッド小麦)の作付け面積の約23.5%を占めるが、主たる作付け地は東中央地区の乾燥地帯に集中している。普通小麦の第2位はMadsen(1987年リリース。ワシントン、オレゴン、アイダホの3州共同開発。矮性、ソフト・ホワイト・ウインター小麦)であり作付け地域はパルース地方に多く、又東中央部でも潅漑ほ場に作付けられている。1999年産では、Madsenが作付けの首位に位置していたが、その後Eltanの伸びに押されている。クラブ小麦の作付けは冬小麦の内約12%程度を占め、2001年産では238,600エーカー作付けられている。作付け地は乾燥地帯の東中央地区の諸郡に集中しており、東中央地区のみで211,300エーカーの作付けが行われている。中心品種はRelyであるが、2000年産をピーク(163,300エーカー)に激減(2001年産:88,200エーカー)し、新たにCoda、そして新品種のEdwin等が伸びている。単位収量と耐病性がクラブ小麦の品種改良では常に求められて来た重点要素である。

普通小麦とクラブ小麦との単位収量に大きな差が無い乾燥地帯では、価格の面で多少でも有利なクラブ小麦が作付けられている。オレゴン州では普通小麦(ソフト・ホワイト・ウインター小麦)のStephensが、冬小麦の作付け面積の約55%に播種(2000年産)さているが、ワシントン州では冬小麦のみで40品種以上が作付けられ、作付け地の気象条件(主に降水量)で細かな品種選択が行われている。冬季の気象も厳しく、春小麦の栽培も盛んであり、2001年産では軟質白春小麦が425,000エーカー作付けられその中心品種はAlpowa(287,400エーカー)となっている。

冬小麦の品種、特に乾燥した地方に作付けられる品種には、耐寒性(Winter hardiness)が重要な選択要素とされ、Eltanはその耐寒性に優れると言われる。
ワシントン州南東地区、特にワラワラ郡では1950年代には乾燥に強いクラブ小麦が中心作付けられていた。戦後日本に輸入されたウエスタン・ホワイト小麦(Western White Wheat)は、日本市場で"白ワラ"と称され、クラブ小麦の含有量が数十%も有ったと言う。1950年にPullmanの農事試験場よりリリースされたクラブ小麦Elmarは、ワラワラを中心に作付けられたが、1955年に黒穂病(Smut又はBunt)が大発生しワラワラ郡の小麦の42.5%がこの病気に冒されたと報告されている。クラブ小麦はほぼ全滅の状態であったと言う。当時のPNW(Pacific Northwest)の小麦の34%、約29,000,000ブッシェルがSmuttyに格付けされたと言う。翌1956年には26.7%がSmuttyに格付けされ、黒穂病はPNWの最大の敵とされた。


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耐病性(耐黒穂病)は品種改良の最優先課題となり、Dr. Orville A. Vogel(Agricultural Research Service, Pullman)が中心となり品種改良が進み、オレゴン州ではOregon State UniversityのDr. Warren Kronstad等の研究が進んだ。1957年に耐黒穂病で優れた試験結果を示したクラブ小麦のOmar、普通小麦のBrevorがPullmanよりリリースされた。その後殺菌農薬(Fungicide)の開発も進み黒穂病の発生は減少した。

ワシントン州東部の小麦栽培は、灌漑ほ場の拡大、表土保全の目的も含み早期播種そしてN肥の多投という栽培形態が一般化して行った。品種改良においてもこの栽培形態に対応した方向で行われ、特に耐病性に加え耐倒伏性が強く求められた。

矮性品種の研究は早くから行われており、1949年に日本の品種"農林10号"が持ち込まれ、農林10号とBrevor(Common Soft White Winter wheat)との交配、選別より生まれた矮性品種"Gains"(Common Soft White Winter wheat)が1961年にワシントン州プルマンの農事試験場より発表された。耐病性(黒穂、サビ枯病)、耐倒伏性、高単位収量の品種として東部ワシントン州全域、オレゴン州北中央部及ウィラメット盆地に急激に普及していった。
Semidwarfと称される矮性品種の草丈は、凡そ22~26インチ(通常種は37~44インチ)である。灌漑ほ場では100ブッシェル/エーカー以上の収量を記録した。夏季休耕地での収量も70ブッシェル/エーカーが確保された。しかし、Gainsは当時の製粉業界より製粉に時間が掛かるという苦情が発生し、Gainsの欠点を改良した品種としてNugainsがプルマン試験場より1965年に発表された。このNugainsの出現により単位収量が低く、倒伏し易い又病気に弱いクラブ小麦の作付けが激減していった。Nugainsの作付けは、数年にしてPNW全域の冬小麦の作付け面積の70%を占めるに至った。

かってに日本向けで"白ワラ"と称されクラブ小麦を数十%含む西部白小麦は、過去の話となった。


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Gaines及びNugainesの開発までの交配。選別の流れは次の通りである。

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冬小麦農林10号は岩手県農事試験場にて育種家・稲塚権次郎により、昭和10年に育成された。矮性多収であるが、多雨に弱い。アメリカ進駐軍・農業顧問のDr. SalmonによりWashington State University に1949年に持ち込まれ、矮性遺伝子を持つ小麦品種の開発が開始された。昭和45年稲塚権次郎は勲三等瑞宝章を受賞。農林10号の矮性遺伝子を取り込み春小麦及びデュラム小麦品種の改良を行い"Green Revolution"を成功させたInternational Maize and Wheat Improvement = CIMMYTのDr. Norman Borlaugは、1970年にノーベル平和賞を受賞。現在農林10号の血を引く矮性小麦品種は、500品種以上、50カ国で栽培されていると言う。農林10号は生育期に雨の多い日本では、栽培品種としては普及しなかった。

カリフォルニアの商業的米産業が、日本の短粒種(渡船、神力)を導入したことで、その第一歩を踏み出すことに成功し、その後大普及した中粒品種の改良に日本の品種(渡船)が使われた事実と合わせ、極めて興味深い歴史的な農業における日米関係と言える。


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気象

ワシントン州の小麦生産地帯の気象特に年間降水量を見ると、東中央地区では8~10インチ、南東地区のワラワラ郡で14~18インチ、パルース地方で18~24インチと州の東に以降するほど海抜も高くなり、降水量も増す。東中央地区のリンド市(アダムス郡)の平均年間降水量は9インチ、同郡リッツビル市では10.4インチそしてオデッサ市(リンカーン郡):9.5インチである。東南地区のワラワラ市(ワラワラ郡):15.8インチそしてプルマン市(ウィットマン郡)では22.3インチとなっている。

ワシントン州東部の降水量と海抜との関係を見ると、コロンビア・ベイスンの海抜は凡そ1,000フィート程度であり、年間降水量は10インチ弱、ワラワラ市辺りで海抜1,500フィートとなり年降水量15インチ、プルマン市が海抜凡そ2,200フィート、年間降水量は22インチ程となる。即ち、100フィート海抜が上がる毎に、年間降水量が約1インチ増える勘定である。

Annual precipitation & Feet above the sea level

Annual precipitation & Feet above the sea level

ワシントン州東部地方(小麦作付け地帯)の1月平均気温は、華氏28度から32度(摂氏マイナス2.2度~0度)となる。冬季の降水は主に降雪となる。グラント郡では1月~3月の降水量は月平均0.8インチ程度であり、ワラワラ郡に於いては冬季の月間降水量は凡そ1.7インチとなっている。ウィットマン郡においては1月から3月の平均降水量は2.0インチ/月である。11月末より殆どの小麦ほ場は雪に覆われ、春先までこのSnow coverが続く。小麦地帯の無霜期間は凡そ140日から160日であり、最も永い無霜期間はワラワラ郡の200日である。晩春のKilling Frostは4月20日(ワラワラ郡)から5月20日頃(ウィットマン郡)である。


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冬小麦の播種は、早い地区で9月早々に始まり最盛期は9月5日から10月5日であり、平年10月30日までに完了する。播種の遅れは、若いひ弱な苗が厳冬を迎える結果となり凍死(Winter kill)の一因となる。収穫は平年7月15日頃に開始され、最盛期は7月25日から8月20日で、9月第一週には完了する。パルース地方の降水量の比較的多い地方での収穫は、東中央部の乾燥地帯の小麦の収穫より7~10日ほど後となる。冬季の降雪(snow cover)は、休眠中の小麦を極寒から守る重要な条件である。

春小麦の播種は3月1日頃より始まるが、最盛期は3月25日から4月25日頃であり、平年5月15日頃までには全州で完了する。収穫は7月20日頃より開始され、平年の最盛期は8月5日から8月30日であり、9月中旬までに完了する。
Blue Mountainsでの降水量が多い年は、ワシントン州東南地区の小麦地帯並びにオレゴン州北中央地区の東部(ウマティラ郡)の降水も良かったものと判断出来る。

6月中旬から下旬の気象(降水と気温)は、冬並びに春小麦の単位収量に大きく影響する。この時期が小麦の出穂の最盛期(冬小麦の方が多少早いが)である。高温・乾燥が続くと不稔が発生する。更に、乳熟期から登熟期に高温が続くと澱粉の蓄積が悪く、粒張が悪く、低容積重、低千粒重となり、更に軟質白小麦の重大欠点である高蛋白を引き起こす。1999年産並びに2001年産軟質小麦にこの傾向が見られた。クラブ小麦では蛋白質10%未満、軟質白小麦では10%程度の蛋白質含有量が理想的であるが、2001年産クラブ小麦の蛋白は平均10.3%(2000年産は8.3%)、軟質白小麦では11.1%(2000年産は9.3%)であった。品質と気象を考える時、収穫期の降雨及び露は大きな問題である。PNW地区の冬小麦は一般的に乾燥地帯での発芽勢を求められており、小麦粒の枯熟後の休眠が極めて浅い特徴がある。このため雨や露により穂発芽を起こす可能性が極めて高い。収穫期の降水は、発芽するまでに至らなくとも発芽酵素(アミロース)が活性化する原因となる。これが低アミロ問題となる。クラブ小麦の穂の形状は、粒が開いて付いていることより、粒の付け根に水滴が溜まり易い。また、現在栽培されている冬小麦並びに春小麦の品種の穂は無芒(awn less)であり、水滴が穂の内部に溜まり易いとも言われる。


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